当サイト前半では花札を熱く語っていくうちに
日本好きの外国人の謳い文句のようになりましたが

結論、私は花札が好きです。
日本好きの外国人セガールも好きです。
話が脱線しましたが、ご周知の通り花札にはいろんな遊び方があります。
それらは地域によって様々であったりします。
このサイトに記載されている遊び方もその一つで私の最も好きな
花札のやり方です。
最近では庶民が花札に触れるということが少なくなってきたと
思いますが、私は小学低学年の頃から今は亡き祖母(クソババア)に
なかば強制的に教えられました。
しかし今となっては死んだクソババアに感謝しております。
「おおきに、おばあちゃん!」
花札と言えば、やはりじゃりン子チエの中でテツが遊興倶楽部にて
百合根(後のお好み焼き屋のオッちゃん)とその手下である四人組
相手に大暴れしたりレイモンド飛田が組長を担う地獄組に縁日で
買った狐の面を付けて乗り込んだまでは善かったが、何とその裏では
大阪府警の警官達がずらりと息を潜めて待機しており、おまけに
指揮はテツと幼なじみのミツルがつとめ、それを聞きつけたチエちゃんと
チエちゃんのおばあはんは・・・。
またしても話が脱線し過ぎてしまいましたが
「かかか勝ち逃げする子は悪い奴」
といった台詞が今も頭の中をこだまする方は少なくないと思います。
しかしテツ達が使用していたのは花札ですが、やっていたのは株
であり こいこい や 八々 とは違います。
我が家にも株札はありましたが、もっぱらテツ達のように花札で
株をやっていました。
ババアがよく孫である私相手にまでイカサマをして勝っていました。
今となっては善き想ひ出です。
話はとびますが、こんな幼少期を過ごした私もそれから幾年が
経ちアメリカをとても好むようになり、留学まですることになった
上に留学先では日本人が全くおらず、それでも花札を忘れることの
できなかった為アメリカ人やメキシコ人の友人を集め彼らにやり方を
教えてまで花札をしておりました。
当時のアメリカでも日本同様、若者の間ではビデオゲームが一世風靡
しておりビデオゲームと言えば Nintendo 。
つまり任天堂製の Nintendo であります。
そして私たちが興じている、この花札も made by Nintendo であること
を彼らに告げると彼らは最初ジョークだと思っておりました。
その時
「花札に 任天堂 ではなく、なぜ Nintendo と表記してないんだ!?」
と少し悔しい思いをした私は悔しさ紛れに
任天堂は元を辿れば花札の製造、販売が本業であったが、今と
なっては家庭用ゲーム機器製造、販売の世界屈指の企業であるということ
並びに自身が代々、任天堂本社のある近くの伏見の出であること
(前述のババアは京都伏見のお稲荷さんの近くで
駄菓子屋とお好み焼き屋なんぞを生業としておりました)
等をえらく真面目に語っておりました。
そこで私は気付いたのです。
いまさら陳腐な表現かもしれませんが
花札屋として創業し、その100年後ビデオゲームで世界に名を轟かせ
それのみならずマリオ、ドンキーコングおまけにポケモンまで世界を
制するとは創業者の山内房治郎は思いもしなかっただろう。
と言うことは世界中でファミコンに熱狂しポケモンを見ている
人たちもまさか Nintendo の元祖は明治時代に京の都で花札屋を
やっていたなどとは思いもしていまいっ!!!!
「だから何なんだ!?」
と思われるかもしれませんが、自分でもわからなくなってきたので
整理してみると
・ファミコンを武器に世界へと躍進した任天堂
・任天堂と言えば京都生まれの京都育ち
・京都生まれの京都育ちと言えば私
・私と言えばアメリカ人に花札を教える
・アメリカ人と言えばファミコンに熱中
・花札 ファミコンと言えば任天堂
・任天堂と言えばファミコンで世界へ躍進
以下ループ
と見事 任天堂 花札 私という三者が京都という共通点の元に
ファミコン 花札を通じてアメリカ人をも巻き込む無限スパイラルの関係に
あるのであります!
ということで相変わらず
「だから何なんだ・・・?」
という始末なのですが、
私はアメリカを好み、京都人であり、任天堂を誇りに思う
だからと言って
私がアメリカ人に好かれてるわけでも、京都を代表する者でもなく
任天堂は私のことなんか知ったこっちゃないってことですネ。
って本当にこんなことが言いたかったのだろうか・・・。